1月20日、ハードロック/ヘヴィメタル界に衝撃が走った。伝説的ギタリスト、ジョン・サイクス氏が肺がんのため65歳でこの世を去ったのだ。 シン・リジィ、ホワイトスネイクといったビッグネームでの活躍はもちろんのこと、ブルー・マーダー、そしてソロ活動でも多くのファンを魅了した彼の訃報に、多くのミュージシャンやファンから追悼のコメントが寄せられている。
ジョン・サイクス氏は、1959年7月29日、イギリスに生まれた。 ハードロック/ヘヴィメタル界の重鎮として、その名を轟かせた彼のギター人生は、一体どのように始まったのだろうか?
イビサ島で芽生えた音楽への情熱
幼少期、父親の仕事の都合でイビサ島に移住したサイクス少年。 そこで彼は、退屈しのぎにギターを手に取った。 これが、後にギターヒーローと呼ばれることになる男の、音楽との最初の出会いだった。当初は軽い気持ちで弾いていたギターだったが、叔父の演奏を目の当たりにしたことで、音楽への情熱に火がついたという。
そして、彼の人生を決定づけたもう一つの出会いがあった。それは、ゲイリー・ムーアの演奏との出会いだった。 ムーアの衝撃的なプレイに感銘を受け、彼を師と仰ぐようになったサイクス少年は、ギターにのめり込んでいく。 後に、ギターヒーローとして世界に名を馳せることになるジョン・サイクスだが、その原点は、イビサ島での出会い、そして偉大な先人との出会いの中にあったのだ。
NWOBHMの旗手として、そして伝説のバンドへ
70年代後半にイギリスに戻ったサイクスは、建築関係の仕事に就くも、コロシアムIIでゲイリー・ムーアのプレイを目の当たりにし、ミュージシャンになることを決意する。
1980年、NWOBHMムーブメントの真っ只中、タイガース・オブ・パンタンに加入。 若手実力派ギタリストとして注目を集め、『スペルバウンド』、『クレイジー・ナイト』といったアルバムに参加し、その才能の片鱗を見せる。
そして1982年、運命の出会いが訪れる。シン・リジィへの加入だ。 フィル・ライノット率いるこの伝説的なバンドに加入したサイクスは、最後のスタジオ・アルバムとなる『サンダー・アンド・ライトニング』のレコーディングに参加。シン・リジィの音楽に、彼ならではの鋭くもメロディアスなギタープレイを持ち込んだ。
しかし、バンドは数ヶ月後に解散を宣言してしまう。 最後のライブ・アルバム『ラスト・ライヴ』にも参加したサイクスは、シン・リジィ最後のギタリストとして、その名を歴史に刻むこととなった。
ホワイトスネイクでの成功と新たな挑戦
シン・リジィ解散後、サイクスはMCAとソロ契約を結び、初のソロ・シングル「プリーズ・ドント・リーヴ・ミー」をリリースする。 この曲は、なんとシン・リジィのフィル・ライノットとの共作で、フィルがヴォーカルも取っているという貴重な作品だ。
1983年末、サイクスはホワイトスネイクに加入。 すでにレコーディングが終了していたアルバム『スライド・イット・イン』のアメリカ向けリミックス版に参加し、その卓越したギターテクニックを披露。 翌年には『スーパーロック’84』で来日を果たし、日本のファンを熱狂させた。
1987年、ホワイトスネイクのアルバム『白蛇の紋章〜サーペンス・アルバス』のレコーディング後、デイヴィッド・カヴァーデール以外のメンバー全員が解雇される。 このアルバムには、サイクスとカヴァーデールが共作した曲が多数収録されており、彼の才能が大きく貢献していることがわかる。
ホワイトスネイクを脱退したサイクスは、自らのバンド、ブルー・マーダーを結成する。 コージー・パウエル、トニー・フランクリン、レイ・ギランといった実力派ミュージシャンを迎え、ゲフィン・レコードと契約。 レイ・ギランが脱退するなど、メンバーチェンジを繰り返しながらも、ファーストアルバムをリリース。 ジョンはギターだけでなく、ボーカルも兼任し、その才能をいかんなく発揮した。 ブルージーなハードロックを基調とした彼らの音楽は、多くのファンを魅了した。
ブルー・マーダーは、来日公演も成功させるなど、高い評価を得るも、セールス的には苦戦を強いられる。 4年後、セカンドアルバムをリリースするが、バンドはジョンのソロプロジェクト化していき、最終的には解散の道を辿ることとなる。 2度目の来日公演では、シン・リジィのカバーも演奏するなど、フィル・ライノットへのリスペクトを感じさせるステージを披露した。
ソロ活動とシン・リジィ再結成
ブルー・マーダー解散後、サイクスはソロ活動に専念。2000年にはソロアルバム『ニュークリア・カウボーイ』をリリースする。 その後も精力的に活動を続け、2019年には、ジョシュ・フリース、トニー・フランクリン、クリス・チェイニーといった豪華なメンバーを迎え、19年ぶりとなるソロ・アルバム『Sy-Ops』を発表する予定だった。 しかし、マネージャーの死去により、リリースは延期となっていた。
また、1996年にはシン・リジィを再結成。 フィル・ライノット亡き後も、スコット・ゴーハムと共に活動を続け、バンドの legacy を守り続けてきた。
泣きのギター、そして孤高のギターヒーロー
ジョン・サイクスのギタープレイは、「泣きのギター」と称され、多くのギタリストに影響を与えた。 彼の特徴的なヴィブラートとベンディングを駆使した情感豊かなフレーズは、聴く者の心を揺さぶる。ホワイトスネイク時代の「Is This Love」や、シン・リジィ時代の「Still in Love with You」など、彼のギターソロは、楽曲の感動をさらに深める重要な要素となっている。
彼は、ギブソン・レスポール・カスタムにミラー・ピックガードを装着したギターを愛用していたことでも知られている。 このギターは、当時多くのコピーモデルが作られるなど、ギターキッズたちの憧れの的だった。
また、彼は機材に関しては保守的で、長年愛用したギターもあったという。 新しいテクノロジーよりも、自分が納得できる音を得られるものを重視していたという姿勢は、まさに孤高のギターヒーローと呼ぶにふさわしい。 革新的なプレイスタイルと、機材に対する保守的な姿勢。このコントラストこそ、ジョン・サイクスの音楽を唯一無二のものにしていると言えるだろう。
ジョン・サイクスが残したもの
ジョン・サイクスは、多くのミュージシャンに影響を与えた偉大なギタリストだった。彼の音楽は、これからも多くの人の心に生き続けるだろう。
「物静かで、親切で、カリスマ性があり、彼の存在は周囲を明るく照らしていた」 と評されたジョン・サイクス。自分のペースで物事を進め、常に弱者を応援していたという彼の生き様は、多くの人の心を打つ。 晩年には、長年支えてくれたファンへの感謝の気持ちを度々口にしていた。
彼の音楽に対する真摯な姿勢、そして弱者への思いやり。これらのパーソナリティは、彼の音楽にも色濃く反映されていると言えるだろう。困難な状況の中でも、決して諦めずに活動を続け、多くのファンに感動を与え続けた彼の姿は、私たちに勇気を与え続けてくれるだろう。
ジョン・サイクスの軌跡
| バンド | 活動期間 | アルバム | 代表曲 |
| タイガース・オブ・パンタン | 1980年 – 1982年 | スペルバウンド、クレイジー・ナイト | Hold Back The Night, Storm Warning |
| シン・リジィ | 1982年 – 1983年 | サンダー・アンド・ライトニング、ラスト・ライヴ | Cold Sweat, Thunder and Lightning |
| ホワイトスネイク | 1983年 – 1987年 | スライド・イット・イン、白蛇の紋章〜サーペンス・アルバス | Is This Love, Still Of The Night |
| ブルー・マーダー | 1987年 – 1994年 | ブルー・マーダー、ナッシング・バット・トラブル | Riot, Valley Of The Kings |
| ソロ | 2000年 – | ニュークリア・カウボーイ | Curse You, Nuclear Cowboy |
最後に
ジョン・サイクス氏の突然の訃報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。彼の音楽は、これからも多くのファンに愛され続けることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。


